カロト家の日記
June 30, 2020
私の釣り遍歴
この日も夜のサーフへ。
漁港の灯りがとても綺麗。
車で仮眠して、早朝3時半には目が覚めて身支度をしたのち、砂浜へ向かう。
日の出前、最初はまばらだった砂浜も次第に投げ釣り師で埋まっていく。
なんども通ううちに荷物を最小限にまとめられるようになってきた。
凪の海面に向けて遠投。思うように遠くへ錘を飛ばせた時の気持ち良さ。
着水と同時に竿を立てて少しずつリールを巻いてくる。
プルル…プルル…..100m先からでも糸を伝ってくるアタリ。
小さめだけどパールピンクの綺麗なキスが2連で釣れた。
竿先をひったくるようなグンッと強いアタリ!!魚と僕の駆け引き、そして力強い生命力に震える。
遠投が出来るようになるとこんなデカギスも釣れる。
ある時はこんな大物も。釣れたのは30cmはある「エソ」。釣れたキスを狙って食いついてくる。これはリリース。
人の多いいつもの砂浜からポイントを変えて、以前よく来ていた浜に来てみた。
ご夫婦にひと声掛けて、お隣に入れてもらう。
この場所は遠投は出来ないが、キスの魚影は濃く、竿を振るたびに良い型のキスが釣れた。
昼食は波打ち際で。一人だと、だいたいいつものカップヌードル。外で食べるとやっぱ美味しい。
お昼過ぎ、そろそろ帰り仕度をしようかと考えながら、投げ入れた沖のテトラの近くで掛かったのは「ホシササノハベラ」
ギュンギュンと竿をしならせながら、なんとか釣り上げた。推定25cmは超えているんじゃないか!?立派な魚体。
すぐに脊髄を断ちエラを切り、バッカンに汲んだ海水に浸けて血抜きをする。
躍動する魚を抑え、命を奪う。ちょっと残酷だけど。それでもかわいそうとは思わなくて、来てくれてありがとう。の想いが強かった。
家に帰ってからのひと仕事は、釣り具を洗って片付けて、釣って来た魚の内臓を取り、キッチンペーパーで水気を綺麗に取り、冷蔵庫へ。
ちゃんと処理をした魚は、翌日でも新鮮な状態で美味しく食べられる。
あのホシササノハベラは塩焼きとなりました。身が甘くて美味しかった〜ご馳走様でした!
いつだったか、子供の頃、家族旅行で行ったどこかの海辺の宿。
翌朝、まだ暗い中、ジェット天秤の投げ釣り仕掛けで、父とキス釣りをした記憶がある。
雲の多い朝だったけど、とても赤が濃い朝焼け空だったと思う。
小学生の自分は、今はもう無き近所のイズミヤの釣り具屋さんにお小遣いをつぎ込んでいたなぁ。懐かしい。
木曽川で稚鮎を毛ばりで釣ったり、友達と鯉を釣りに行ったり。
ある時は、父の友人のおじさんに渓流釣りに連れて行ってもらって、流されそうになったり(汗)、
おじさんの手ほどきを受けてやった初めての友釣りでもちゃんと鮎を掛けたり。楽しかったな。
中学生にかけての夏休みは木曽川の近くの野池にケッタ(自転車)で毎日のように通い、ヘラブナ釣りにはまった。
年配のヘラ釣り師たちにまじって、大きなフナを釣り上げていく優越感。
アルミ製の折りたたみの出来る釣り座が欲しくてたまらなかったけど、ついに買うことがなく、あの野池は干上がって無くなってしまった。
そこから釣りからしばし離れていたけど、
京都に住んでいた20代〜釣り再開のきっかけは鴨川でのシラハエ釣り。小さな魚のアタリを取るために自作のウキを何個作ったことか。
前職場の同僚と一緒に、よく一睡もしずに琵琶湖にバス釣りに行ったり、京都のカロトスタッフと一緒に小浜にサビキ釣りに行ったり、
伊勢志摩への家族旅行でもちゃっかり早起きして、弟と海釣りしたり。
思い出すと定期的に釣りに行きたくなる時があった。
岐阜に来てからこの何年か登山に目覚めて山に行く機会が多かった。
でも、最近はコロナの影響で海に通うようになって、自然との共存というものをみる視野が生まれた気がする。
むしろ、小さなころから培ってきた釣り人の血のようなものが脈々と体の中に蓄えられいて、
釣りを通じて、海なし県の岐阜生まれの僕でも海の良さに気づけたそんな感じだ。
僕に釣りを教えてくれたのはやはり父だよな、ありがとう。