カロト家の日記
February 23, 2019
クヌギの木
お天気に恵まれた土曜日、久しぶりにゆっくり起きて、嫁さんとモーニングに行って、今日も薪作り。
ちょっと春めいてきて、となりのトシさん家の梅も咲いて、駐車場のタンポポやオオイヌノフグリも咲いている。
鳥は囀ってるし、ポカポカあったかいし、ようするに何をするにも心地いい季節が到来している。
薪作りをするようになって、さまざまな事を知る。それは薪ストーブを焚くだけじゃ解らない自然との繋がり。
昔、この一帯は桑畑だったと、近所の経験豊富なお歳を重ねたお姉さんに聞いた。
あちこちで蚕を飼って、絹糸を採っていた時代だ。
その後、蚕産業が衰退し、桑畑からのシフトで杉を植林してから50年。
今はその杉林も虫喰いの被害に遭い、昨年の台風でかなりの杉が倒された。
僕はその、倒されたり林業のおじさんが切り倒した杉を、これから先の薪ストーブの主な燃料にしようとしている。
というのは、今、薪として使っているのは、小屋の改装で出た廃材などの建築資材や友人の木工作家や家具屋さんから譲り受けた木材や一年前に切り倒してあったユーカリの木だ。
薪は最低でもひと夏、広葉樹なら2年ほど乾燥させなければならないので、現在、作っている薪たちは次の冬かその次の冬用となる。
針葉樹は乾燥も早いので、杉やヒノキの薪は次の冬には使えるかもしれないが、ナラやクヌギなどの広葉樹の薪を燃料として使えるのは当分先になりそうだ。
さて、今日の薪作りは大物のクヌギが相手である。
クヌギは薪の中でも最高らしい。日持ちが良くて、火力も強いと。
でも、僕の住む場所で身近なのは杉やヒノキなので、クヌギが手に入ることは、これから先どれくらいあるか分からないけど。
先日、林業のおじさんが切り倒したクヌギが裏山にあるので、朽ちてしまう前に切り出して来ようとチェーンソーを抱えて裏山へ向かう。
切り倒され横たわっているクヌギ。直径は30cm。
チェーンソーのエンジンを掛けて、さあ!と気合を入れて切っていく。
長さを50cmに切っても、まだまだずっしり。かなりの重量感だ。
この切ったクヌギを、足場の悪い道なき道を、えっちらおっちら抱えてひとつひとつ薪割り場へ運ぶ。
しかし、この前までここに立っていたこのクヌギは、まだたっぷりと水分を含んでいる。
日に当たって樹皮はあったかいのに、手で抱える時に腕に当たる切断面はとてもひんやりとしている。
大地から水を吸い上げて立派に葉を茂らせていたこのクヌギの木。
でもよく見るとアリが巣にしていたようで、芯の部分が侵食されていた。
何年まえからここに生えていたんだろう、とか、このずっしりとした重さ=水分 は命の重みだなぁ、とか、アリさんもこの木と共に暮らしてきたんだなぁ。
とか、立派なクヌギの木をチェーンソーで切りながら考えていた。
自分がただ薪ストーブを使いたいだけで、何十年も前からここに生えて、いろんな人の暮らしや風景をみてきた自分よりもっともっと年上の木を切っている。
勝手に立っている木を切り倒している訳じゃないけど、決してぞんざいに扱っちゃいけないなと気が引き締まる。
僕は信仰心とか宗教とかを信じる心を、あまり持ち合わせていないんだけど、、
自然との距離が近い暮らしをしてきた昔の人々は、あらゆる恵みに感謝したり、山の神様に感謝したり、自然万物に神が宿ると考えた日本人独特の宗教感が生まれる背景や伝統は、考えてみたらとても自然な事だと思った。
チェーンソーの刃の長さは35cm。
僕の薪割り場。手前が今日切ったクヌギ。(左がヒノキ、奥が杉)これからさらに25cmの玉切りをして、斧で割っていく。
1日の終わりに、ここからみる夕焼けがやっぱり一番好き。
夜は薪ストーブに薪を焼べながら、一日を振り返る。
様々な経験をする事で、何かに気づくきっかけがある。
今、何が必要で必要じゃないか、大切にしたいことはなんなのか。
答えが出るのはいつなんでしょうか。